北アルプスに魅せられて                                          番外編

楼蘭王国探検記

第一章

北京からウルムチへ

 

1995年10月7日(土) 1日目

いよいよ出発の日がきた。
成田空港 14:55発 中国国際航空CA926便
中国国際航空カウンター前に13:00集合という予定だったが、
余裕を持って家を出たため、成田空港へは11時40分に着いてしまった。
12時30分、搭乗手続きをし、簡単に食事をする。 やがて、一緒に行く I 氏と、Y女史と合流。
14:00 出国審査を済ませ、搭乗券に記載された搭乗口に向かうと、搭乗口が変更になっていた。 
今日の日程は北京までである。 しかし、なんとなく何かが起きるのかな、という予感がする。
 

CA926便

14:55 定刻どおり離陸。
北京までの飛行ルートは、成田−大阪−福岡−上海−南京−済南−天津−北京と
朝鮮半島を回り込むように飛んで行く。
機内は日本人は私たち3人だけで、もちろんスチュワーデスにも日本人はいない。
北京が近づくと、入国審査票が配られた。
当たり前の話だが、すべて中国語で書かれている。
しかし、漢字を拾い読みすれば意味はわかるものである。
覚えているのは、職業欄にあった「工人」。 技術者なのか、工場労働者なのかは不明。
あと、これは農業かな、と解かった字があったが、思い出せない。
宿泊地の欄にきて、そういえば北京泊ということだけでホテル名を聞いていなかったことに気がつく。
迷わず、ただひとつ知っている「北京飯店」と記入する。

手荷物受け取り 髭はありません(笑) 約4時間半の飛行で予定通り北京空港に到着した。
到着は北京時間18:15。 (東京との時差は1時間)
  −ここから先はすべて北京時間です。−
初めての北京である。
しかも、添乗員がいるわけでもなく、ひとりですべてに対応しなければならない。
共産主義、中国語はまったくわからない、と不安がいっぱいであったが、
入国手続きは何のやりとりもなく、スムーズに済んでしまった。
荷物が出てくるのをしばらく待ち、無事全員の荷物が出てきて一安心である。
出口には、関西空港から昼に北京に到着していたO氏が待っていた。
そこで、最終的な参加者は4名になったことと、帰国までのスケジュールが渡された。

北京での世話人スン氏と、次に向かうウルムチでの案内役、ウイグル族のミノワ女史を紹介され、空港近くで夕食後、今日の宿泊地、北京市内、王府井(ワンプーチン)にあるホテル「天倫王朝飯店」に向かう。
ミノワ女史は新疆大学を卒業し、ウイグル語、日本語、英語、北京語が堪能とのことである。
ホテルは4ツ星ホテルだそうで、□字型の建物の中央部は大きなアトリウムになっている。
そのアトリウムに面して、フロントがあり、お店が並んでいる。
チェックインの手続きをしてくれている間に、両替をしておく。
10000円を人民元に換えたところ、804元だった。 1元≒12円だ。

チェックインに時間がかかるな、と思っていると、どうやら、オーバーブッキングらしい。
ミノワ女史が交渉の末、用意された部屋は特別スイートルームだった。
10階のエグゼクティブフロアーに上がるとエレベーターを下りたところに、別にクロークが設置されている。

アトリウム


部屋に入ってビックリである。 思わず間取りを手帳に描いていた。
バスルーム

入口を入ってすぐの床は大理石。
コンソールの前を過ぎるとLDに。
サイドボードの中にはTVが入っている。





2ボールの洗面化粧台とバスタブ。
反対側にもうひとつシャワーブースと、
トイレがある。
ベッドルーム ここにもTVがある。
ダイニング
リビングコーナー
日本なら1泊何十万円も取られそうな豪華な部屋である。
このホテルでは普段1泊4000元とのことである。
日本円にすると約5万円だが、
北京でのエリートサラリーマンの月給が1000元前後であると聞くと、
その値段の凄いことがよくわかる。
しかし、2度と泊まることもないであろうこの部屋に
夜9時過ぎにチェックインし、1泊とはなんとももったいない。

翌日は朝8時にモーニングコールが入り、8時半に3階のロビーに集合し、
朝食のあと、10時に出発とのことである。

ハプニング続きの第1日が終了した。

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