1995年10月8日(日) 2日目 |
工事の音で目が覚めた。 窓から外を見ると、北京の街は建築ラッシュである。 初めての北京の朝を豪華な部屋でむかえのんびりしていると、電話が鳴った。 受話器を取ると、Y女史からであった。 皆起きているので、朝の散歩に出ることにした。 |
午前7時。 日曜の朝なので、車は少ないとのことである。 TVで見たとおり自転車がとても多い。 平日はこの自転車が通勤ラッシュになるのか。 湿度50%。 ちょっと涼しい、気持ちのよい朝である。 |
いくつかの通りを右に左にと進むと 突き当たりに大きな門が見えてきた。 故宮の東側にある東華門である。 門の前には朝市が出ている。 饅頭を蒸す湯気、土の付いた野菜・・・ そこはたくさんの人たちで賑わっていた。 中国の家庭は夫婦二人が仕事を持っているのが普通で、朝食は朝市の屋台で食べるのが普通だということである。 |
1時間半ほどであるが北京の街を歩いてみた。 ポプラ・ヤナギ・アカシヤ・プラタナスといった街路樹はとても大きく、大通り沿いには新しい建物と、古い建物が混在している。 しかし、大通りから垣間見える細街路を覗くと、古いレンガ塀に囲まれた中に家がある。 胡同(フートン)と呼ばれる明時代から続く庶民の住宅街で、その建物の造りかたは四合院造りとよばれている。 のんびりと朝の散歩を楽しんだ後、ホテルに戻り朝食。 朝粥、包頭、焼きそば、揚げパン、とても美味しい。 今日は13:50発の飛行機でウルムチに向かう。 |
10:30 ホテルを出発し、東に位置する公園に向かう。
飛行機の時間に合わせ、ちょっと早いがここで昼食。 |
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日曜日、素晴らしく高く青い空のもと、 公園には数多くの人が訪れている。 ちょうど、結婚式が行われていた。 新郎新婦の装いは、日本とまったく変わらない。 |
公園を出て、空港に向かう車窓に見えるのは 車の多さと、建築ラッシュ。 空港はかなりの混雑である。 搭乗手続きを行い、搭乗券をもらう。 「登机牌」とかかれている搭乗券を持ち、 搭乗口に向かう途中、 各地の気象情報が掲示されていた。
でウルムチに向かう。 |
北京を発ってすぐに簡単な機内食が出た。 付いていたクラッカーは非常食としてに取っておく。 窓の外はすばらしい天気だ。 地上を見ると、茶褐色の砂漠が延々と続いている。 3時間半ほどの飛行時間でウルムチが近づくと、 天山山脈の白い頂きが見えてきた。 17:30 ウルムチ空港に着いた。 |
新疆ウイグル自治区の首都ウルムチ。 面積11.4万平方キロメートル。 人口135万人(先日のTVでは現在208万人) 世界一海から離れた街だということである。 「ウルムチ」とはモンゴル語で「美しい牧場」という意味らしい。 気温30℃、湿度30% この季節は気温30℃の翌日が雪ということもあるそうだ。 新疆の疆の字の右側は、 3つの山脈に挟まれた2つの盆地をあらわしているとのことだ。
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ここで、これから一緒に楼蘭に向かう中国側スタッフと合流する。
ウルムチで一番大きいこのホテルは24階建てで、最上階に回転展望所がある。 外から見えるところは綺麗に仕上げられているが、 ちょっと裏に回ると、コンクリートのままのところがかなりあり、これが普通なのかなと思う。 地震のない中国では、高層建築の足場も竹が使われているということだ。 また、日本では下の階から仕上げていき、最後に足場を解体するが、 中国では、躯体を最上階まで打ちあげ、今度は上から仕上げに入り、だんだんと足場を外していくらしい。 本当なのかな? |
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午後7時30分。 本日、4回目の食事に出かける。 近くのレストラン(もちろん中華です)で 北京ダックをはじめ、10から12品の料理をいただく。 飲み物はビールが基本で、白酒(パイチュウ)と呼ばれる アルコール度の高い酒も出てくるが、なめる程度でやめておく。 食後、近くで開かれているマーケット・バザールに行ってみる。 午後9時。 凄い人の数である。 ビリヤード台が何十台も並び、野外ビリヤードを楽しんでいる。 イスラム教徒の豚肉を使わない料理「清真料理」のレストランが多い。 本屋では、CDも売っている。 |
午後10時、ホテルに戻る。
明日は8時にモーニングコール。
8時半、朝食。 9時10分出発とのことである。
コルラまで500kmの車での移動である。
いよいよ楼蘭に向け、砂漠のたびの始まりである。