北アルプスに魅せられて                                          番外編

楼蘭王国探検記

第三章

米蘭(ミーラン)から楼蘭古城へ

1995年10月11日(水) 5日目

チャリクリクの招待所 午前5時くらいから、バスがクラクションを鳴らし続けている。
乗客を起こすためなのだろうか?
昨夜は遅い到着だったので、他にどういう人たちが泊まっているのかわからない。

そのまま、うつらうつらしている。
昨夜の頭痛は完全に消えている。
良かった、今日からはいよいよ砂漠の中に入っていく。

午前7時50分、ベッドから起き上がり、食堂に朝食を摂りに行く。
煮込みうどんのようなものだった。
ピリッと辛いが、味がない。
O氏の持ってきた食卓塩は貴重品となった。

 

昨日、2度パンクをしたチェロキーはタイヤ交換をしなければならない。
1時間くらいかかるだろうとのことなので、O氏とランドクルーザーで先発することにした。

午前9時、出発するとすぐ川辺に出た。
川といっても、今は水は全く流れていない。
そこにかかっていた橋が、7月の洪水で流されてしまっていた。
一滴の水もないこの川に、橋を流してしまうほどの水が本当に流れたのだろうか・・・

車は、一度川床に降り、迂回をしながら、またもとの道に戻る。
崑崙山脈に続くアルチン山脈を右に見ながら、砂漠を横断してゆく。
O氏は、このあたりはゴビ砂漠と同じ礫漠ですね、とおっしゃる。
確かに回りは細かい石ころの砂漠である。

道は砂利が固めてあるだけのもので、何ヶ所も洪水の爪痕が生々しく残っている。
水でさらわれた跡には、大きな石がゴロゴロしており、よけながら進んでゆく。
アルチン山脈の雪解け水が大洪水を起こし、砂漠の砂の中に消えてゆく。
砂漠は本当に不思議なところだ。

まわりの景色は、いつまでも同じようだが、よく見ると、細かい石の礫漠から、細かい砂の砂漠に変わっている。
ところどころにラクダ草と呼ばれる塩生草がはえ、年間を通じて一定の風向きのため、風下側が砂の小山になっている。

 

10時15分、米蘭に到着。
裏庭にはトラックが2台着いている。
われわれが乗ってきたランドクルーザーを含め
3台の整備が始まる。
トラックのタイヤは全く溝がないほど磨り減っている。
こんなトラックで大丈夫なのだろうか?

整備を見ている間、ちょっとお腹がすいたので
ウルムチに来る飛行機でもらったクラッカーを食べる。
招待所の裏庭
トラックの整備

 

招待所の回りをちょっと歩いてみる。
小さな町の衣料品店から聞こえてくる音楽は聞いたことがある。
なんと、「島唄」だ。
こんな大陸の奥地で日本の歌を聞くのはなんとなく変な気持ちだ。
店の前のテーブルで、老人がトランプに興じている。

後発隊はなかなか到着しない。
招待所に戻り、しばらく昼寝をする。

12時30分。 後発のチェロキーが到着した。
聞けば出発が11時だったとの事である。
招待所の食堂で、万頭とおかゆの昼食をとる。

 

食後、ジーさんが以前楼蘭に行った時のルート記録を確認する。
記録場所のなかでドンリクは地図に載った地名だが、古漁村・最後の野営地は地図ではわからない。
米蘭 北緯 39°14′33.1″
東経 88°53′53.4″
ドンリク 北緯 39°22′19.0″
東経 89°19′59.0″
古漁村 北緯 39°47′06.3″
東経 89°33′48.4″
最後の野営地 北緯 40°11′35.2″
東経 89°47′56.4″
楼蘭 北緯 40°31′00.1″
東経 89°54′55.9″
SONYのGPSに目的地・楼蘭を入力すると、ここ米蘭から直線距離で165kmである。
GPSは私の担当となった。

 

午後3時出発の予定だったが、ロバ4頭が草を食べに行ったままなかなか帰って来ず、
結局、午後4時の出発となった。
ここで編成されたキャラバンは、私たち4名、ここまで一緒に来た運転手2名、ガイド2名、
文物局役人1名のほかに新たにトラックの運転手兼料理人3名、ウイグル人ガイド2名。
総勢14名+ロバ4頭+トラック2台+ジープ2台となった。
午後4時、戻ってきたロバはトラックの荷台でおとなしく草を食べている。

いよいよ出発である。
綿花畑の道を進むと、畑のはずれに検問所があった。
ここで証明書を提出し、」遮断機を上げてもらう。
この先はすぐに砂漠となった。

 

5分ほどで米蘭の古代遺跡の脇を通過する。
仏塔も城壁も風化し、地上から消えようとしているようだ。
この道は敦煌へ向かう街道だが、
舗装してあるわけでもなく、わだちが残った道の脇に一本の電線が通っているだけである。
米蘭仏塔 米蘭古代遺跡
米蘭古代遺跡 米蘭古代遺跡

 砂漠の中を進む

見渡す限りの砂漠が続く中を、ひたすら進むこと2時間。
午後6時、まだ明るい中、ドンリクに到着。
もともとはここにあった村の名前らしいが、今は何もない。
その場所を示すのは50cmほどの石積みが二つと、そばに建つNo.702の電柱だけである。
ドンリクを示す石積み

 

ここで、街道を離れ、北に向かう。
200mほど進んだところで、トラックの荷台から水が流れている。
1台のトラックの荷台一面には水袋が積んであるのだが、
どうやら少し亀裂が入ったようだ。
修理を試みるが、亀裂は水圧で広がり、
水は音を立ててトラックから流れ落ちる。

水がなければ砂漠ではどうすることもできない。
結局、ここにキャンプを張り、
1台のトラックが米蘭まで戻り、
別の容器に水を入れて戻ることになった。
考えてみれば、ここでアクシデントがあって幸運である。
もっと奥に入ってからでは身の危険も考えられる。
流れ出す水

 

曇り空のため、夕日は見えない。
夕食は簡単に、羊肉のスープとナン。
ナンは丸型で、おそろしく硬く乾燥している。
それをちぎって、スープにいれ、柔らかくして食べる。

午後9時30分。
用意されたドーム型テントで、各自もってきたシュラフにもぐりこむ。
テントは3張り。
私とO氏とI氏で一張り。 Y女史が一張り。 ガイド2名と文物局役人が一張り。
ウィグル人たちは毛布を地面に敷き、その上で、身体に毛布を巻きつけて寝ている。

日にちも変わった午前3時頃。
強風がテントをたたく音で目が覚める。
テントが揺れている。
30分程で強風のためテントがつぶれそうになり、
建て直しのため外に出ると、Y女史のテントがつぶれ、助けを呼ぶ声が聞こえる。
同時に、われわれのテントも崩壊。
台風のような風に砂が顔にあたってくる。
外で寝ているウィグル人たちは、何事もないように眠っている。
潰れたテントが飛ばないように石を載せ、ジープに非難する。

しばらくすると、強い雨がフロンとガラスを叩きはじめた。
年間降水量数10mmのこの地域で、雨に遭遇するとは・・・
見上げると空には月が輝いている。

気がつくと、いつのまにか風も雨もどこかへ行ってしまった。
寒さに、ジープの中で寝袋にくるまってうとうとする。

この日の野営地  
 北緯 39°20′14.4″
 東経 89°20′58.5″

キャンプ第一日目もアクシデントのスタートである。

3日目・4日目に戻る    6日目に進む

 

目次に戻る


トップページに戻る

inserted by FC2 system