1995年10月14日(土) 8日目 |
午前7時 起床。 今日の日の出も素晴らしい。 気温5℃。 砂漠の朝はやはりかなり寒い。 午前8時 うどんの朝食を摂り、出発の準備をする。 今日から、楼蘭まで直線で31.6kmを徒歩で進む。 ベースキャンプに残るのは、トラック・ジープと運転手5名。 出発するのは、 私たち4名と中国人ガイド2名、文物局の役人1名、ウィグル族のガイド2名。 合計9名と、荷物を運ぶロバ4頭である。 500mlのペットボトルの水2本と、昼食用の豆の缶詰、洋ナシ、ナンを各自サブザックに詰める。 ペットボトルの1本には日本から持ってきた粉末のポカリスウェットを入れる。 その他の水、食料、テントなどは4頭のロバの背中に積まれた。 |
午前9時30分。 9人とロバ4頭は楼蘭を目指して出発した。 まず、GPSで楼蘭の方位を確認し、文物局のホーさんの持ってきた正確なコンパスで少し先の目標物を決める。 そして、ガイドのジーさんと片言の英語で目標の確認をし、前進である。 もちろん、直線的には進めない。 歩けるところを蛇行しながらの前進である。 GPSとコンパスによる進路決定は、私が担当することになった。 ロバの背に積まれた荷物はかなり重い。 足場が悪いので、荷の左右のバランスが崩れると、ロバは簡単に倒れてしまう。 そうなると自力では起き上がれないため、荷をすべておろし、積み直さなければならない。 何度か積み直しながら、午前11時、休憩。
気温24℃。 しかし、湿度がほとんどないので、暑さはほとんど感じない。 ポカリスウェットで水分補給をし、再出発である。 |
歩き始めて、すぐに気がついたのは、ロバの進む速度は遅い、ということだ。 どうしても、人間の進むスピードのほうが速い。 しかし、ロバは休憩を取らずに進むことができる。 結局、人間が先行し、小休止しているところに、ロバが追いつくというペースになった。 |
やがて、胡楊の林だったところに入る。 胡楊の木は、生長するのに1000年、立ち枯れて1000年、倒れてから1000年。 タクラマカンでは3000年残ると言われているそうである。 |
ここを抜けると、ヤルダンと呼ばれる小山の連続したような地形を進む。 このあたりでは、まだ小山は小さいが、さらに進んだところでは人の背丈の2倍くらいの山になっている。 |
午後1時30分。 昼食休憩を取る。
出発から4時間で9.5kmの前進である。 朝、貰った豆の缶詰をあけてみると、ピーナッツや穀類が甘く煮付けてある。 あまりおいしいものではない。 ナンを半分と、洋ナシを食べるが、この洋ナシが一番おいしい。 1時間ほどの休憩で、やっとロバが追いついてきた。 |
ロバが見えたところで、出発。 GPSで方向を確認しながら、黙々と歩く。 皆、ただ足元を見つめながら歩き続ける。 午後3時50分。 ロバを待つために休憩。
ここで2時間近く休憩するが、ロバが追いついてこない。 このあたりのヤルダンは人の背よりも高く、少しルートがずれただけでまったく見えなくなってしまう。 ジーさんが周辺を探してみるが、どこにも見当たらないようだ。 食料も水もすべてロバに積んであり、全員に不安が増してくる。 水がなければ、これより先に進むことは不可能である。 いまなら、一晩の野営でベースキャンプに戻ることができる。 午後6時、ベースキャンプに向け、出発する。 1時間ほど歩いたところで、ジーさんがロバの足跡を発見する。 ロバの進んだ方向がわかるので、ジーさんが駆け足でロバの足跡を追うのに皆が続く。 すると、ジーさんが大声で叫んだ先には、夕日を背景に黒い人影が大きく手を振っている。 丘を越すと、ロバが見え、その脇には焚き火が燃えている。 助かった、が実感である。 今日はここで野営である。 食料は3日分しか持ってきていないということなので、節約し、明日早朝楼蘭古城に向かうことにする。 この日の野営地
2kmほど戻ったことになる。 午後8時、インスタントラーメンの夕食をとり、午後9時には就寝した。 |
徒歩で進む砂漠も、ハプニングのスタートでした