1995年10月12日(木) 6日目 |
午前7時30分、起床。 朝食の準備に沸かしたお湯を先にもらい、インスタントラーメンを食べる。 その後、おかゆの朝食を食べていると、玉門関から歩いてきたパーティーが訪ねてきた。 O氏が会長を勤める「大地の会」のグループの先行隊であった。 敦煌から楼蘭を目指したが、入場許可が得られず、楼蘭の手前40kmと通過したとの事だった。 そういえば、昨夜寝る前に東のほうに焚き火のような明かりが見えたが、かれらのものだったようである。 |
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まもなく、水を積み直したジーさんのトラックが戻り、一同ほっとする。 テントを撤収し、出発の準備をする。 ロバをトラックの荷台に乗せるのは、4人ががりで大変そうだ。 おなかに2本のロープを回し、上から引っ張り、下から持ち上げる。 それでも何とか4頭のロバは荷台に上がり、おとなしくわらを食べていた。 準備が終わったところで、ウィグル族の案内人、アンさんが北西を指差し、ラクダの一隊が歩いていくと言う。 先ほどの「大地の会」のパーティだが、その方向を双眼鏡で見ても、そういわれればなんとなくそんな感じがするが、はっきりとは確認できない。 通訳に聞くと、ウィグル族は10km先の色が識別できるという。 |
午前10時50分。 ジーさんと、GPSで再度方向を確認する。 現在地は
今日は、ジーさんのデータにあった古漁村を目指す。
キャンプを張ったドンリクの周辺は礫獏(表面に礫がゴロゴロし、植生がない)だが、 すぐに、湖畔を思わせるようなブッシュと葦の群生地を抜け、それを過ぎると広大な砂漠地帯である。 出発して、約1時間。 干上がった川を渡るところで、トラックが越えられない。 全員、車を降りて、1台ずつ慎重にわたる。 ここで位置を確認してみると
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この川は、渡れたのはこの地点だけで、かなり大きな流れだったようだ。 今は水が少ないが、水が流れた後の川幅は広い。 水には塩分が含まれており、乾いたところは真っ白になっている。 「手が荒れるから、水には手を入れないほうがいい。」と言われた。 |
このあと、GPSの指す方角に車を進めていく。 周りは見渡す限りの砂漠である。 しかも、直進できるわけではなく、車の通れるルートを探しながら、進んでいく。 |
途中、こんな鉄塔が立っていた。 思わずGPSで位置を確認する。
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午後1時30分。 だんだん、GPSの指す方角に車が進めなくなってきた。 どうやら、少し戻ってルートを変更しないといけないようだ。 先ほど通った鉄塔の近くまで戻り、新たなルートを決めて、また前進する。 |
午後3時。 車の進みルート脇に多数の白い骨を発見した。 どうやら、墓場の跡のようである。 木をくりぬいたような木版は、棺の蓋だろうか。 湿度がないため、腐らずに残り、風で砂が飛ばされ、地上に現れたようだ。 強烈な太陽に照らされて、カラッとしているので、気味悪さはまったくない。 頭蓋骨も目の前にあると言うのに・・・ すると、砂の中に偶然、緑色に錆びた銅貨を発見した。 文物局のホーさんによると、1500年前、唐の時代のものであるらしい。 中国では、こういう機会に文化調査をしているようだ。 GPSで場所を確認する。
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さらに1時間ほどで、中継地として設定した「古漁村」に着いた。 漢の時代に作られた漁村の後らしい。 1500年前はこの近くまで水面があったということだ。 住居跡はひとつではなく、いくつかあるが、だいぶ風化が進み、 また、砂にも埋もれていっているようだ。 |
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さらに車を進め、太陽が沈む少し前、午後6時30分。 第2キャンプを設営する。
日没は午後7時35分。 砂漠に沈む素晴らしい夕日。 この綺麗さは言葉では言い表せない・・・ |
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今日は14名全員そろったはじめてのキャンプである。 キャンプファイヤーを囲んでの夕食。 メニューは、イスラムチャーハン、羊肉入りの炊き込みご飯である。 これが素晴らしくおいしい。 マッシュルーム入りのスープとあわせ、贅沢なディナーとなった。 |
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飲み物はビールと白酒(パイチュウ)。 乾杯・・・ウィグル語でホーシと言うそうだ。 カンペイ、ホーシが何十回となくかわされる。 |
空には満天の星。 午後10時、月が昇った。 午後11時30分、寝るまで歌が続いた。 |
いよいよ入った砂漠、さすがに広大だ・・・